6%DOKIDOKIのコンセプトと歴史について教えちゃいます。


その 1

1995年・・・時代はバブル崩壊を引きずる不景気のどん底のトーキョー。

まだ「裏原宿」なんて言葉のない、ただの大通りから一本はいった人気のない裏通りの雑居ビルの3Fに「6%DOKIDOKI」は産声をあげました。

当時、芝浦「GOLD」や青山「MANIAC LOVE」などのテクノ・ハウス系クラブばっかり行っていたボクが(ちょうど映画「パーティモンスター」のような日々!)セレクトした商品は、クラブカルチャーから影響された、踊りに行く時に注目されるための洋服やアクセや雑貨中心の品揃えでした。 そんな商売的な感覚としては程遠いところでロクパーはスタートしたのです・・・・。

もちろん、ショップの中はダンス系音楽をガンガン流し、踊りながら接客。今でこそそんなショップはたくさんありますが、当時、ボクらのような若い世代がショップを持つなんて夢のまた夢。当然、資金などあるわけもなく、お客さんが来るわけでもないので、まるで自分の部屋に友達を呼ぶような感覚で営業していました。

そんな商売っけのない営業形態が、やがて口こみで広がり、注目を浴びだしたのは、ソフィア・コッポラ氏(映画監督:「ヴァージン・スーサイズ」「ロスト・イン・トランスレーション」など)がショップを訪れてからです。(この模様は当時の雑誌「H」に収録されています。

そこで人とは違うちょっと変わった感覚を賞賛された6%DOKIDOKIは、さらにポップな方向へと進んでいきます。「踊りに行く時に注目されるためのグッズ」という路線は残しつつ、「外国から見た間違った日本」や「へたくそなニセモノ」などのモンド系グッズも取り扱うようになり、さらにノンジャンル化へ加速します。

そんな時代の雰囲気を取り入れたストリートの人たちの中から、このロクパーのポップでモンドなグッズたちを「ファッション」として身につけて街を歩く人たちが現れだしました。

決して身につけるために作られたのではないこのグッズを身につけて原宿の街を闊歩するその姿は、人々には斬新かつ異様に見えたことでしょう・・・・。

そして、この異様ともとれるファッションをカメラにおさめ発表する雑誌が出現しました。

これが「FRUiTS」です。こうして、当時はコンビニでも読めた「FRUiTS」からこのファッションは伝染していきます・・・・・。

 

→その2へ続く